2004年の日本デビュー以降は、韓国と日本の間を盛んに行き来するようになり、ライブやイベントなどに積極的に出演して、メディアでも歌番組で度々その姿を見るようになります。
東方神起の所属事務所は、当初は中国などでの活躍を見越していたのですが、音楽業界や芸能界が成熟している日本では、中国の人口以上にマーケットとしての魅力があるため、主軸が韓国と日本の二つを柱にした体制へと傾倒していきます。
そうした中で、東方神起の日本での売り出し方が微妙に変えられ、韓国では「アイドル」として売り出していたところを、日本では「アーティスト」の色合いを強めた方向性を持たせました。
この戦略は功を奏して、これまで韓流にあまり興味が無かった若い世代の方を巻き込んだ、K-POPの一大ムーブメントを日本で引き起こしました。